実践的認識論


専門化教育における理論と実践の統合
http://www.ircme.u-tokyo.ac.jp/jsme37th/pdf/DrSato.pdf


教養教育と専門家教育の統合
http://www.tmd.ac.jp/artsci/kyouyouHP/SatoFDLibEduc.pdf


読書と日々の記録2001
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/reading/2001-11b.html

専門家について私たちが伝統的に抱いているイメージは,科学的な理論と技術を厳密かつ道具的に適用することによって問題を解決する,という「技術的合理性」モデルである(p.19)。そのような,基礎科学に立脚した応用という図式は,たとえば医学や法律,ビジネスや工学にを見ることができる (p.22)。しかし現実の実践は,単純に基礎が応用できるものではなく,複雑性,不確実性,不安定さ,独自性,価値葛藤をそなえており,問題を解決する以前に,問題を認識し構成するところからはじめる必要がある(p.56-57)。そこで実践者が状況に対処するためは,(サブタイトルにあるように)行為しながら考える(reflecting-in-action)ことが中心となる(p.78)。それは,自分の理解や理解の枠組みや感情をとらえ直し,検証し,現象についての新たな枠組みを構成することである。


実践=ある種の専門的状況における達成的な行為、達成への準備、繰り返し(ショーン:102)

実践者は判断の基礎となる暗黙の規範や評価について、あるいは行動のパタンの中に暗黙にある方略や理論について省察する。また、行為についてある特定の過程をとるよう導く状況への感情について、あるいは解決しようとしている問題に枠組みを与えるやり方について、あるいはより大きな制度的文脈において自分が作り上げた役割について、省察する。これらいくつかの様式の中で、「行為の中の省察」は、厄介で"多様な”実践状況に対応する実践者の技法の中心となるものである(ショーン:107)。

優れた実践家に対し、実践の中の省察、実践からの省察を自発的あるいは研究者の助けを借りながら行なうことを促す。その際に、省察を助けるための認識枠組み(もしくは単なる枠組み、フレームワーク)を提供する。例えば、「流れ」の枠組みである。特定の枠組みに沿って、自らの実践・行為を省察し、そこから、実践の技法の中心をなすような理論・セオリー、言語化されたもの、を導出していく。実践家が、自分の実践的文脈のみから独自の理論を構築するのではなく、ある程度、一般化が可能な枠組み、コンパチブルな枠組み、けれども自然科学のような厳密性を必要としない枠組みを与えることによって、他者にも比較的共感的理解を得られ、他者が自分とどうように実践的状況で優れた成果をあげることができるような理論を生み出すための省察を助ける。

行為の中で省察するとき、その人は実践の文脈における研究者となる(ショーン:119)


実践的認識論は、技術的な問題解決を省察的探求というより広い文脈の中へ位置づけ、「行為の中の省察」が独自の意味において厳密なものになりうることを示し、不確実性と独自性における実践の技法を、科学者の研究の技法と結びつける認識論である。この実践的認識論によって、私たちは「行為の中の省察」の正統性を高めるとともに、より広範に深く、そしてより厳密な活用を奨励することができるだろう(ショーン:121)

反省的実践家は、意味づけし認識し計画する能力が、自分自身と同様、クライアントにもあると考えている。反省的実践家は、彼の行為がクライアントに抱かせようとする意味よりも、クライアントにとって異なった意味をもつことを認識しているし、彼の行為の意味が何であるかを発見することを自分に課していることを認識している。反省的実践家は、彼自身の理解をクライアントが使用できるようにする義務を認識しており、そのことは、反省的実践家は自分が知っていることを新たに反省し直す必要がしばしばあることを意味している(ショーン:146-147)。