構築主義でのモデルの意義

構築主義のような、将来を予測できないものと仮定する世界観において、モデルや理論を作ることの意義は何か。モデルや理論は、物事を予測するためのものではないのだろうか。


モデルや理論は、現象やすでに起こったことに潜む論理を明らかにしたり、そこから一般性を抽出したりするものである。実践家が意図的に行っているかどうかは別として、むしろ感覚的に行っていることであっても、そこに内在しているロジックを抽出し、説明することがモデル化につながる。


すでに起こった成功や失敗について論理を当てはめて「なるほど」と思わせることは可能でも、それが将来の成功や失敗を予測できるわけではない。間接経営戦略(沼上)でも同様のことが述べられている。結果的にそうなっただけであって、当事者がそれを狙ってやったとは限らない。それでもなお、過去の出来事を論理でもって後付で説明することには意味があるという。

何故なら、論理によって説明を加えることで、実践家の反省的意識が深耕され、より筋の通った議論が社内で行われるようになり、・・・うまくすれば次の機会により洗練された間接経営戦略を思いつく可能性が高くなるからである(沼上 1999:215)

「反省的実践家」がモデルや理論構築に果たす役割は大きい。ショーンによれば、有能な実践家たちは自分の行っていることについて考えることができ、実際に行為の最中に考えることすらある。反省的実践家はかなり複雑な実行理論(theory-in-use)をテストしたり創造したりしている。そのような理論に基づいて予測(仮説をたて)し、実行し、結果と内在する意味を見出し、評価し、次の行為へと移っていく。彼らは意図せざる結果をも反省し、柔軟に自己の理論を修正していく。反省的実践家は、自分自身である種の理論構築作業を行っている「理論家」なのである(沼上 1999)。


となると、モデルや理論構築にとって、その材料となるケースもしくは聞き取りや調査対象となる人物は誰でも良いというわけではなく、反省的実践家であることが望ましいということになる。また、具体的に誰がそういった調査対象となる反省的実践家と呼べるのかについての判断は調査者の判断に委ねざるをえないだろう。さらに、これらの反省的実践家がすべて独立した作業で行ったものを抽出するという手もあるが、聞き取りや調査のプロセスで、実践家が反省的に理論構築をしていくプロセスを手助けしたり、より言語的に洗練された説明となるように再構成する手助けをすることも必要となろう。急に言葉で説明せよと言われてもなかなか難しいし、明確な言語レベルにまで到達していなくても、半ば無意識的に反省的実践を行なってそれなりのコツを会得している場合もあるからである。反省的意識もしくは反省能力によって、これまでの経験を通じた試行錯誤のなかで本人がそれなりにつかんできたコツのようなものは、科学的に実証できる類のものではないかもしれないが、本人の実践を支える理論やモデルであるといえるだろう。


反省的実践家によるモデルや理論を探るのに良いデータの1つは、実践家による著書であろう。著書の中から、本人が反省(内省)を通じて作り上げた経験則、コツ、モデル、理論のたぐいを探りとることも有効であろう。