持論の有効性

実践家の理論もしくは持論とは

行為中に実際に使用している理論、内省しないと気づかない理論
「実践から生まれ、実践を導いている理論」(金井2005)
調査研究から導かれる(科学的)理論とは区別して用いる。

内省的実践家とは

自分のアクションのコツを対話、内省、実演を通じて、原理・原則として言語化できる人

さまざまな人の持論を抽出することはどれだけ意味があるか

うまい下手の定義は難しいが、あるものごとをうまくやれる人と、やれない人がいるというのは多くの人が感じることだろう。そして、どんな人でも、そのものごとがうまくいったときとうまくいかなかったときの両方の経験を持っているだろう。そのものごとがうまくいく人が持っているコツやセオリー(持論)は何か、うまい人と下手な人をわけるポイントは何か(持論で説明可能か)、そして、同一人物でも、うまくいく場合と失敗する場合をうまく説明する持論は何か、というようなことを考察し、可能であれば一般化されたかたちで言語化、モデル化する。そうすることによって、その特定のものごとをどうやってうまくやるかというコツや原理原則について、経験に基づいた実践家からという視点で理解することが可能になるのだろう。

素朴理論から持論へ

わたしたちが日常の知としてなんとなく持っている素朴理論に対して、優れた内省的実践家が信じて使っている持論は、より整理され体系化されたセオリーであるといえる。

持論の構造

実践化の理論もしくは持論というのは、どういった状況であってもある程度あてはまる原理・原則を反映しているという意味で一般化されたフレームワークの部分、もしくは「モデル」と、状況に応じて、一般化された原理・原則に準じながらも、独自のカスタマイズによってセオリー化する部分としてのサブコンポーネントの両方をあわせもっていると言えるだろう。

持論の普遍性

何らかの形でどういった状況でもある程度応用可能な汎用的なモデルが構築されたとする。しかし、それは普遍的なものではない。あくまで文脈その他に影響されたモデルであるはずであり、それは時間が経つに連れて改良されたり、改編されたり、また別のモデルにとって変わられる運命にある。その中で、時代の移り変わりとともに余計な部分が削ぎ落とされて、より本質に近づくモデルになっていくことも考えられる。そもそも、モデル構築に終わりはないはずで、ある程度現在の時点でまとまったものとして落ち着くことになろうが、それはあくまでテンポラルなものなのである。もちろん、モデルそのものに用いられている、あるいは前提となっている、基礎となっているコンセプトや原理・原則の中には、すでに長い時代を生き抜いてきた普遍性の高いものが含まれている可能性は大いにあろう。それだけ長い年月を経て風化せずにきたもの、もしくは風雪で鍛えられたものというのは、ある程度、持続的に支持されるであろう。