変化と全体でとらえる東洋思想

東洋思想では、物事は常に動いている、変化いているととらえる。全体的な視点から物事を理解しようとする。西洋思想では、物事を止めて考える。止めることによって、分析的・局所的に理解する。


西洋医学では、物事を局所的、解析的に見ていく。悪いところを患部と称し、そこに病名をつける。その患部や病名の専門家がいる。東洋医学では、むしろ病人に焦点をあてる。病名を特定するのではなく、病人の状態を調べ、それにふさわしい処置を施す。周囲の環境も含めた全体の中で、身体をとらえようとする。


東洋思想では、変化の原理、循環の原理、つまり流転の原理のエッセンスを理解することが重要であり、そこに用いられる概念の定義や正確性はそれに比して重要ではない。たとえば、五行における木、火、土、金、水が世界の構成物であるとする考え方は、たしかに現代科学からみれば不適切である。というか、あまりにも大まかすぎる。しかし、それらの概念は、さきほど述べた変化や循環の原理を示すためのシンボル的な役割を果たしているのであって、そういった諸要素的な特徴を持つものの動きやバランスによって世の中が成り立っているという本質の理解なのである。


東洋思想では、変化こそが物事の本質であり常態であることを示すが、西洋の分析的・解析的視点では、分析や解析を行うために、いったん、現象を静的にとらえることが必要なことから、ややもすると、世界自体がほんとうに静的なものであると誤解してしまいがちなのである。