よい研究トピックとは、よいリサーチクエスチョンとは、よい仮説とは

研究をするうえでまず決める必要があるのが、何について研究するのかという研究トピックであり、何を明らかにしたいのかというリサーチクエスチョンもしくは研究目的である。これは、とりわけビギナーにとっては、簡単に見えて意外と難しい。


まず、研究トピックおよびリサーチクエスチョンは、とるに足らないもの、良く知られているもの、常識的に言われているものであっては価値がない。「それの何が面白いの?」「なぜそれが重要なの?」「それって当たり前では?」という疑問が発せらるものであってはいけないのである。ただし、常識的なものに対して、異論を挟もうとするもの、一石を投じようとするものは、価値があるし、面白い。「常識ではこのように考えられているが、実は違うのかもしれない」というものであれば注意を惹くわけである。研究トピックそのものについては、「実は重要なのだけれども、あまり注目されてこなかったね」「たしかに見過ごされてきた問題だね」と思われるものもよい。この場合、直感的になんとなく答えがこうではないかとわかるようなものであっても、目のつけどころが違うという意味では価値がある。


それから、リサーチクエスチョンに対して期待される答えが、直感的にすぐに思いつくようなものでは価値がない。まさに、「わざわざ研究をする意味があるのか」というツッコミを受けてしまう。そのリサーチクエスチョンに答えようとするときに、少し時間をかけて論理的に考える必要があるものが面白い。いわゆるパズル解きのようなプロセスを得て答えが見つかるならば、知的な好奇心が満たされる。また、論理的思考が必要だということは、言い換えれば、直感ではすぐに正しい答えがわからないということなので、先ほどの裏返しで、価値のある研究だといえよう。論理的に考えると、直感とは逆をいく答えにたどり着くというのも魅力的である。


仮説の提示に至る議論で陥りやすい問題は、議論が直感的で、論理的でなく、よって独りよがりになっている場合である。例えば、「AがBの原因となる」というような仮説を提示しようとするときの理由が、「なんとなく多くの人が常識だと思っている知識、直感的にそうだろうと思うような予測」であっては意味がない。なぜならば、「AがBの原因じゃないのでは?」「AがBの原因とはならない場合もあるのでは?」という反論が出たときに、「それは常識的にはこうだから」という説明をすることに等しいからである。常識だからという説明では学術的だとはいえない。


ではどうすればよいのか。それは、理論に依拠して論理を立てるということである。理論というのは、例えばAが生じた結果Bが起こるといった因果関係が繰り返し起こるという法則性が論理的かつ実証的に検証されたものである。理論というのは、先人が学術研究を通じて、その論理性や実証性(再現性)を多くの研究を通じて蓄積された産物であるから、学問の世界では、「理論」を「常識」よりも信用できるものとして扱えばよいのである。であるから、「ある程度の広い範囲でAがBの原因となる」という確立された理論があるとして、それに基づき、今回の研究トピックはその幅広い範囲の一部であるから、AがBの原因となるはずである」という論理展開が可能になるのだ。もちろん、理論は絶対でも普遍でもなく、いつかは覆される可能性を常にもった知的産物であることは忘れてはいけない。