荘子の無為自然

中野(2007)によると、荘子が説く無為自然とは、外にしたがうのではなく、みずからわが心の声に耳を傾け、その自然に行っていくことなのだという。つまり、外なるものや、欲望などからはなれ、ひたすら己が内なる生を養うことを通じて、自由自在の境地に達することなのだ。欲望を捨てて自然の理に従うということである。


現代はめまぐるしく環境が変化し、乱世のようである。しかし荘子は、人間の境遇は千変万化ではかりしれないが、それは情勢の変化、運命のめぐりあわせでどうしようもないものだから、そんなことに一喜一憂して心の平和を乱すのはおろかしいという。


状況がたえず変わり、価値評価がころころと変わる乱世を泳ぎ切ってゆくには、周りの状況にたえず目を配っているだけでは何もできず、外なるものの変化に一喜一憂しても迷うだけである。肝心なのは、自分がどうかということで、何よりもまず自分の判断、考え、態度を自ら定め、正しいと思うことを行うのが、情勢に流されず逆にそれを動かしていく人間なのだと荘子は説く。


また、至人は無為自然の道を行うのみで、それは水が流れて万物をうるおすように働きながら人目につかない。まして世俗の名声など得ることはないという。