役に立つ理論・モデル・思考枠組みとは

役に立つ理論、もしくはモデルや思考枠組みとはいったいどんなものであろうか。
まずわかりやすいのが、変数のつながりによって組み立てられた理論である。とりわけ、その理論には、われわれが気にする従属変数が含まれていることがポイントである。それは、利益であったり業績であったりという、ビジネスやマネジメントにおける重要な変数である。そして、その従属変数に、複数の独立変数や調整変数、介在変数が因果関係によって結びついている。そして、独立変数や調整変数が、われわれによって操作可能な場合である。われわれが操作不可能な変数は、言ってみれば従属変数がどうなるかは、指をくわえて見ているしかない。しかし、独立変数や調整変数が操作できるのであれば、われわれが、従属変数を好ましいものにするために、変数を操作することが可能である。そして、予測が可能なため、理論やモデルを援用して変数を操作することにより、かなり確からしい確率で、望ましい結果が得られることも可能である。このことを指して、役に立つ理論ということがわかりやすいのである。

しかし、この種の理論は、世の中が固定的な変数の関係で成り立つという機能主義の考え方に基づいており、利用できる変数というのも限られている。多くの人からみて、その変数としての概念が固定的で測定可能でなければならない。では、そうでない場合の理論、モデル、思考枠組みは役に立たないのか。


そうではなかろう。世界は人々の社会的相互作用の産物であり、常に変化する可能性を秘めていることを前提とする社会構成主義の場合、固定して不変な変数というものの存在さえ否定せざるをえない。むしろ、どのように世界が構成されていくかというポイントに焦点があつまる。そのような中で、なんらかのモデルなり、思考枠組みが示されたとして、それはどのようなかたちで役に立つのであろうか。それらのモデルや思考枠組みでさえ、テンポラルなものと位置づけられるため、いずれは別のものに取って代わられることを前提としているわけだし、そういったモデルを用いることによって、かなり確からしい確率で、望ましい結果が得られるということも言えない。


しかし、われわれは、しばしば、そうではあるが、役に立つと言いたくなる様な著作や思考枠組みに出会うこともある。ここで、曖昧であるが都合のよいことばとして「洞察に富む」という表現がある。このモデルや思考枠組みは、実践的な洞察に富む(だから役に立つ)という言い回しである。この洞察に富むという表現は実は曲者であろう。どういう形で役に立つのか明確ではないからだ。具体的にはこうであろう。それを目にしたり理解したりする読者が、それによって感銘を受ける。それは、いままでぼんやりとしていたものがクリアになったとか、これまで文章や書籍ではお目にかかれなかったが、自分の経験からまさにそのとおりとひざ手を打つような状態だとか、それを目にすることにより、内側からエネルギーが湧き上がってくるような興奮を覚えるとか、そういうものであろう。しかし、繰り返すが、それらのモデルや思考枠組みを理解したからといって、すぐにそれを用いて望ましい成果を導き出せるというものでもない。そもそも、それらのモデルや思考枠組みは何かを予測したり、操作したりするものではなく、むしろ複雑に見える現象の理解を促進したり、変化し続ける現実の生成過程をうまく説明したり、操作はできないけれども現実に存在する行動原理などを明らかにしたりするものだからである。


上記のような洞察に富むということをもって、役に立つと言ってよいのだろうか。それは「役に立つ」の定義にもよるし、判断の問題だろう。


ところで、モデル化の1つのアプローチとして、人々の具体的な経験に基づく語りをもとに、エッセンスを抜き出しながら抽象化するという過程を通じて、コンパクトなフレームワークを作っていくという方法が考えられる。特に、社会構成主義パラダイムを前提とする中で行なわれるこの主のモデル構築の試みは、どのような形で実践の役に立つのだろうか。
この種のフレームワークは、先の議論からもわかるように、何かを予測したりするものでもなく、世の中における法則性のようなものを発見する目的で追究されるものではない。社会構成主義の視点に立ちながら、モデルや思考枠組みを提示する目的の1つは、これまで起こった過去を振り返るとともに、開かれた将来に関する豊かな想像性を働かせ、いま目の前で起こっていることと戯れながら、現実をよりよく生きる、あるいは実践を楽しむためのきっかけないしは援助を行うことである。これは、モデルをつかえば物事がうまくいくことを主張するものでもない。実際にはわからないだろう。だったら役に立たないのかというとそうではないだろう。予測できなければ、望ましい結果を導けなければ役にたたないという論理は、機能主義に基づいているからだ。客観的な理論、世の中を予測し、操作を可能にする理論を前提としない世界観に立つ限り、結果として望ましいものを手に入れようが入れまいが、その思考枠組みに触れたり利用することによって、実践に関する洞察や感銘を得ることこそが大切なのであり、役に立つ思考枠組みであると言えるのだろう。