経営学における「探求する精神」:基礎科学から何を学べるか

経営学は応用的な学問分野であるため、「経営学は実務の役に立つのか」というのは常につきまとう問いである。実務の役に立つ経営学研究はどのようにすれば可能なのかという問いに置き換えてもよいだろう。今回は、この問いに答えるために、大栗(2021)が基礎科学において主張する「価値ある研究は探求する精神から生まれる」という考え方を参考にしてみよう。

 

まず大栗は、現代の研究の意義を考えるうえで役立つ概念として「目的合理的行為」と「価値合理的行為」の2つを挙げる。目的合理的行為とは、何かあらかじめ設定された目的に最も効率的に到達するために合理的に選択される行為で、価値合理的行為は、行為自身の価値のために行うものである。工学部のように何がどのように役に立つかわかるような学問分野を研究するのは目的合理的行為であるのに対して、大栗のような物理学者は、自然界の基本法則の発見やそれを使った自然現象の解明という行為自身に価値があると考えて研究しているので、理学部や人文系の学問の多くは価値合理的行為だといえる。

 

では、大栗が行っている素粒子論の研究のように、価値合理的行為の最たるものは、人類や社会の役に立つといえるのだろうか。これに対して大栗は、一見役に立ちそうにもない好奇心に駆られた研究が、長い目で見ると社会に大きな利益をもたらす例は数多くあるといい、「科学の歴史において、人類に利益をもたらした重要な発見のほとんどは、役に立つためではなく、自分自身の好奇心を満たすために研究にかきたてられた人々によって成し遂げられた」というフレクスナーの言葉を紹介している。基礎科学の研究は知的好奇心に駆られて行うもので、何かあらかじめ与えられた目的を効率的に達成するものではないが、それは、役に立つことを目的として成し遂げられたことよりも、無限に大きな重要性を持つことがあるというのである。

 

例えば、実業家イーストマン(イーストマン・コダック創業者)が、科学において世界でもっとも有益な研究をしたのはマルコーニだ(無線通信の発明) といったコメントに対して、フレクスナーは「真の功労者はマクスウェルだ」と指摘したという話を大栗は紹介している。つまり、マクスウェルが「電磁波」を予言し、電気や磁気の現象がすべて一組の方程式で説明できることを発見したことが発端となってマルコーニによる無線通信への実用化に至ったというわけである。マクスウェルは、無線通信という応用を目指して研究していたわけではなく、ひたすら自らの探求心に導かれた研究によってその方程式を発見したのである。

 

また大栗は、カリフォルニア工科大学の元学長シャモー氏の「科学の研究が何をもたらすかをあらかじめ予測することはできないが、真のイノベーションは人々が自由な心と集中力を持って夢を見ることのできる環境から生まれることは確かである」「一見役に立たないような知識の追究や好奇心を応援することは、わが国の利益になることであり、守り育てていかなければいかねい」という言葉を紹介している。要するに「精神と知性の自由こそ、圧倒的に重要だ」ということなのであるが、その理由は、基礎科学としての価値ある発見は、幅広い自然現象を説明でき多くの科学の発展につながる、そうした大きな流れのすそ野には、社会に有益な技術への応用も当然含まれてくるからなのだと大栗は論じる。

 

基礎科学において価値の高い発見をするために決定的に重要なのは、科学者の磨き抜かれた探求心だと大栗は主張する。研究者の探求心は卓越したものでなければならない。したがって、工学のような目的合理的な研究の場合は、それがどのように役に立つのか、またその目的が達成できる見込みがあるのかというのが重要であるが、湯川秀樹のいうところの「地図を持たない旅」のような基礎科学の場合、「意識の本来の機能でもある、より深く、より正しく物事を理解しようとする」研究者自身の探求心がどれほど優れたものなのか、またその探求心に導かれた研究を遂行するだけの能力を持っているかが研究成果の価値を左右するというのである。

 

さて、経営学研究者は「探求する精神こそが最も重要」だとする基礎科学における主張から何を学ぶことができるだろうか。まず考えるべきことは、経営学研究は工学や法学に近い目的合理的行為なのか、理学や人文学に近い価値合理的行為なのかである。これについては、経営学は学際分野でもあるため、両方の立場があってもよいだろう。前者では、現在のビジネス環境において、企業が利益を高めるという目的を効率的に実現するような研究を志向することになるだろう。しかし、どのように役に立つのかが分かり、短期的には大きな利益を生む可能性のある研究に社会の資源を集中的に投入すると、逆に大きな損失を招くこともあると大栗は指摘する。何故かというと、何が役に立つかは時間とともに変化しうるため、価値の軸が変わると役に立たなくなってしまうからだという。

 

よって、経営学においても、基礎科学のような好奇心や探求する精神に駆られた価値合理的行為としての研究も重要であるに違いない。これは、必ずしも現在の企業経営の実践に役立つことを目的とする研究ではない。研究の対象とする経営にかかわる現象について、例えば、組織行動論でいえば「組織における人間行動のメカニズム」について、より根源的に考え、「より深く、より正しく物事を理解したい」という好奇心や探求心に駆られて行う研究である。もちろん、「根源性」を追求するのであれば、それは、組織という文脈を超えて人間関係や人間行動の本質を理解するという探求心につながり、社会心理学基礎心理学、さらには、人間行動を生み出す生物学的基礎としての神経科学、脳科学進化心理学といった分野にまで到達してしまうであろう。

 

どこまで深く、掘り下げていくかは難しい問題であるにせよ、組織行動論で言えば、「どうなっているのだろう」「なぜだろう」という好奇心、探求心に駆動されて発見された、組織における人間行動に関する新たな発見は、それに実践的な価値を見出す人々によって、企業経営の実践に役立つ知識や教育や経営手法の開発などにつながっていくだろう。組織行動論に限らず、経営戦略論でも組織論でも、その他の経営学でも、同じことが言えるだろう。ただ、このような姿勢で研究を行うためには、卓説した探求心とそれを粘り強く追究しようとする姿勢、そして、それを遂行する能力は必須であろう。

文献

大栗博司 2021「探究する精神 職業としての基礎科学」(幻冬舎新書)