公正マネジメントを制度論で片付けてはいけない


公平性というかけ声のもとで、賃金制度や評価制度を整えようとする姿勢は評価に値するが、公正マネジメントを制度論で片付けようとすると本質を見誤ることになりかねない。


制度で実現しようとするものは、主に、経済的資源の分配である。賃金はまさにそうだし、昇進・昇格などにつながる評価についても、それが実質的な賃金上昇を伴うことがほとんどであるため、経済的資源の分配方法を、制度的に公正になるように設計しようという姿勢である。


しかし、人は、経済的利益のみで動くわけではない。あるいは経済的利益だけでなく、広く社会的利益も含むとしても、多くの経済学がそう仮定するように、人は、自己利益の最大化のみを動機として動いているわけではない。


したがって、仮に経済的資源の配分についての公正を実現できたとしても、それは人間がどのようなときに満足するのか、一生懸命組織のために働こうとするのかなどについての一面的な部分しか満たしていない。


その他の視点で大切なのは、まず、人は、自分が組織から大切にされているのかどうか、組織にとって価値がある人間なのかどうかを気にしているものであり、公正さというのは、それを推し測るバロメータとなるということである。だから、例えば、制度以外の日常場面でも、本人をぞんざいに扱うような行為は、組織にとって価値ある自分でありたいという本人の欲求を阻害し、自己評価を傷つけることにもつながり、それが組織に対する本人の不公正感を大いに高めてしまうのである。


人々は、組織から尊重され、大切に扱われたならば、そのお返しに、組織に対して報いようとする、好意の返報性が働くことを忘れてはならない。だから、制度論の問題ではなく、(制度も含めた)企業のマネジメント姿勢の問題なのである。そして、この企業のマネジメント姿勢というのは、トップマネジメントの経営姿勢から来るものである。


さらに大切なのは、人々は、自己利益の最大化や、自己への関心とは独立したところで、公正さを気にしている、つまり、人間として何が正しいかという視点で物事を見ている。だから、直接自分の利害にかかわらなくても、他者が不公正な扱いを受けているのを目的すれば、激しい憤りを感じることがあるだろうし、その感情が組織内に伝播し蔓延することもあるだろう。そうすると、組織が適切に従業員を扱っていないという共通認識が、風土となって、直接その被害をうけていない従業員を含めた組織全体に共有されることになりかねない。もちろん、それが企業にとってネガティブな影響を与えることは容易に想像がつくだろう。