台湾の半導体産業

http://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu030914c.html

半導体では、最も大きな市場規模を持つ半導体モリーのDRAMで日本企業が世界のシェアの8割を占め、競争力は抜群だった。しかし、今、DRAMの世界一は韓国の三星電子だ。一方、台湾の台湾積体電路製造(TSMC)や聯華電子(UMC)は、受託生産(ファウンドリー)専業という独自のビジネスモデルを構築した。現在2社は合わせて、受託生産の世界市場で過半数のシェアを誇っている。UMCは99年、新日鉄半導体子会社を買い取って、日本ファウンドリー(現UMCジャパン)を設立した。


ファウンドリーはもともと日本企業が生産設備に余力がある時に片手間にしていたビジネスだ。しかし、顧客の設計会社は「片手間」ゆえの不安定な納期に不満を抱き、またアイデアが盗まれるのでは、と疑った。TSMCの創業者、張忠謀氏はこのような不満を聞き、専業化すれば新しいモデルになると見抜いた。その後、UMCも追随し、いまや台湾は半導体の世界有数の生産地となった。この間、日本企業は相変わらず横並びでDRAM生産に固執した結果、半導体市況の激変に振り回され、しばしば大幅な赤字も計上した。


買収前の企業が元々生産していたDRAMは汎用(はんよう)品なので、顧客の顔を思い浮かべる必要はなかった。けれど顧客の要求にいかに的確に応じるかが受託生産の生命となる。このような台湾で開発され、蓄積されてきたノウハウを、日本人社員は台湾人の上司や同僚から、あるいは台湾から送られてくる英語や中国語資料を通じて学ぶ。

http://www.mochioumeda.com/archive/nb/020513.html

DRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)、超小型演算処理装置(MPU)といった大型単品商品や電荷結合素子(CCD)センサーなどのニッチ商品を除き、半導体の産業構造が垂直統合型から水平分業型に移行したことが決定的要因である。80年代には一体化していた設計と製造という2つの機能が分離したことが、日本企業にとっての痛恨だった。


台湾政府の戦略的な産業育成優遇制度の果実として、ファウンドリー(半導体受託生産会社)産業が90年代に大きく勃興。設計に特化するファブレス半導体設計会社)という業態も同時に成立したのである。資本集約的な製造事業には、土地提供や投資減税といった政府の支援が有効に作用したため、台湾のファウンドリーはぐんぐんと国際競争力を高めた。今、中国が同じモデルで猛追中だ。一方、頭脳集約型の設計事業はシリコンバレー・メカニズム(リスクマネーと資本市場を徹底活用した新事業創出)にぴったりとフィットしたため、米国にはありとあらゆる領域のファブレスが生まれた。


日本企業は、垂直統合の利が生きるDRAM分野では韓国のサムスン電子、米マイクロン・テクノロジーとの競争に敗れ、MPUインテルを追撃する力もなかった。その他の事業領域においても、「米国-台湾」による水平分業連合との競争に敗れたのである。


1つは、日本の半導体メーカーを再編して、「垂直統合の利を徹底追求する大型総合半導体メーカー」を目指す道である。各社が持つIP(知的財産)を集約して、その統合効果を追求するのである。・・・もう1つは、「技術力で勝負できる世界一のファウンドリー」を目指す道である。日本の製造技術と人材の質は今ならばまだ、台湾や中国の上を行っている。