ザイン・インタビュー


http://www.venture.nict.go.jp/v_introduction/iv19/iv_top.html

アメリカでは優秀な学生ほど起業する傾向がありますが、日本では大学卒業後、官庁や大企業への就職を優先するケースが未だに多いですよね。個人的には、そのような起業に対する認識というか風潮が、日本の低迷期につながったのではないかと考えています。
・・・当時私は、ヒューレッドパッカードは大企業だと思い込んでいたのですが、私の思い込んでいた大企業とは全く違う雰囲気に非常に驚かされました。また当時のシリコンバレーリスクマネーが大量に流入し、金融の専門家と最先端の知能を持ったエンジニアが瞬く間に巨万の富を手に入れ、創業者が次々と実業家へと変わっていく時代でした。


東芝時代の知識を商品にするコンサルティングビジネスは、尻すぼみになってしまうのではないかという危機感を抱いていました。そのため、コンサルティング以外の事業を早く見つけようと考えていたところに、サムソンから合弁会社の誘いを頂き、快く了承しました。
実際、合弁会社を設立する際は、何が核となる事業で合弁会社のシェアはどうするのかといった様々な交渉が必要でしたが、無事設立にこぎつけました。現在、サムソンは当時わが社が開発を手助けした液晶と半導体モリーの分野で世界市場を制覇し、日本の総合電機メーカーの追随を許さない状況です。
8年間合弁会社、親企業共々一度も赤字を出しておらず、イーブンを保っている状況でした。また個人的には、サムソンとの8年間の共同事業を通じて、次の事業の準備を進め、第2次創業につなげられたと考えています。

今振り返ると、合弁会社の設立等を含め、自分の計画を実行するというよりは、出会いを大切にしながら、自分達の事業を創りあげてきたという感想を持っています。また、そのように出会いを大切にしてきたことで、大企業とのパートナーシップ獲得や台湾企業との連携が実現できたと考えています。大企業とベンチャー企業は決して、対立するものではなく相互補完的な関係を構築することが可能だと思います。


失われた10年と言われる10年間に学部卒で社会人となった、現在23歳〜35歳の方々は、通常ならば産業のエンジンといってよいと思いますが、低迷する産業に属していた人達は、ビジネスの勝ち戦を知らない社員となってしまっています。


JASVAは2000年10月27日に任意団体として設立され、2004年12月17日には設立後4年で社団法人となりました。今はとにかく半導体ベンチャーの成功例を増やそうと努力しています。現在、レギュラー会員は100社なのですが、100社のうち、この4年間で7社が株式公開を果たしています。