クリティカル・シンキングとは何か

クリティカル・シンキングは、日本語でいうと「批判思考」である。ビジネススクールでも、必須科目の1つとしてクリティカル・シンキングを学習する科目があるところもある。それだけ重要かつ有用な思考法であるといってよい。では、そもそもクリティカル・シンキングとは何なのだろうか。実は、方法論としてのクリティカル・シンキングは、もう1つの方法論である「仮説思考」とセットで用いることで威力を発揮するのである。


仮説思考というのは、物事の課題や問題を発見したり、それを解決する際に、できるだけ早い段階で「こうではないか」「こうかもしれない」という「仮説」を立て、それを検証するかたちで物事の本質に近づこうとする思考である。仮説思考がなぜ優れているかというと、それは早い段階で雑多な現象やデータから、何を捨て、何に焦点をあてるかといったアプローチの方向性を明確にするからである。仮説が間違っていれば方向を修正すればよいのである。方向性が定まらないままデータだけを集めてもスピーディかつ適切な問題発見・問題解決には至らない。


この仮説思考とセットで行わなければならないのがクリティカル・シンキングなのである。それは、仮説を検証するプロセスにおいて人間が持つバイアスと関係がある。人間はそもそも、自分が正しいと思いたい生き物である。したがって、仮説を検証しようとする際にも、無意識的に、仮説を支持するデータのみを集めようとしてしまうのである。そのようなデータばかりを集めて、仮説が正しいと思い込むことが以下に危険なことかはすぐに分かるはずである。


そこで、仮説を立てて、ロジカルかつ経験的に仮説を検証しようとする際には、必ず、仮説をつくった自分とは異なる自分をつくって、仮説が完全に間違っているのではないかと「疑う」作業をする必要があるのである。その仮説は間違っていると食ってかかるわけである。それだけ真剣であれば、その仮説が間違っていることを支持するためのデータを必死で集めたり、仮説を導くロジックに穴がないか一所懸命探すであろう。これこそがクリティカル・シンキングの本質なのである。


おそらく、最初に思いつく仮説は、粗が多く、論理的にも不十分で、本当にそれが正しいものであると言い切れるものにはなっていないはずである。ここでクリティカル・シンキングが登場する。批判的立場からこの仮説を徹底的に攻撃し、反証を試みる。その仮説が間違っていることを示す反証が得られたら、今度は仮説をつくった側の自分が、仮説を練り直したり、別の新しい仮説に置き換えたりする。そうしてできあがった新しい仮説も、批判的立場の自分が、クリティカル・シンキングを武器に徹底的に叩きのめす。この繰り返しである。


クリティカル・シンキングで叩きに叩かれても、くじけることなく仮説を練り続けるならば、最終的には、どんなクリティカル・シンキングでも陥落させることが不能な堅牢なロジックと確固たるデータに支えれれた仮説ができあがってくる。この仮説こそが、問題発見や問題解決における本質を捉えた優れた仮説になるのである。