経営学の意義

経営学研究者であれば企業経営ができるのではないかという短絡的な考え方がある。あるいは、経営学研究を揶揄する意味であえてそのような議論をする場合がある。しかし、経営学研究者が経営の実践ができるかというのは、まったく別の次元の話である。経営学研究者が優れた経営者にはなれなくても、経営の指南ができるのではないかという話も次元が異なる。実際の経営への適切なアドバイスを求められるのは、経営学者ではなく、経営コンサルタントである。では、経営学の存在意義はどこにあるのだろうか。


実際の経営においては、当然のことながらその場その場の最善手は、そのときの状況によって異なるし、唯一の正解があるわけではない。しかし、経営学で問うているのは、個別の経営における最善手もしくは処方箋を見つけることではなく、経営における諸事象について、一般的にどんなことが言えるかということである。誤解を恐れずにいうならば、経営における一般法則を探ることである。


例えば、たばこが本当に健康を害するのかという問いを考えてみよう。実際には、喫煙していても長生きする人もいるし、喫煙経験がなくても健康を害する人がいる。よって、煙草が健康を害するかどうかは、その人その人でケース・バイ・ケースのはずである。それでもなお、一般的にはどうなのかという問いは、喫煙に関する指針を得るうえで重要な問いであり、医学の基礎研究ではそれを科学的に検証しようとする。経営学もこれと同じである。個々の企業経営の最善手ではなく、一般的な見解を、できるだけ科学的、客観的に探る。


一般的に、煙草が健康を害するかどうかがわかれば、喫煙がもたら実際の効果は人それぞれであっても、喫煙に関す何らかの生活指針は得られる。一般的な喫煙の健康への影響は、さまざまなアプローチによってなされる、生物学的・化学的レベルでの研究もあれば、喫煙・禁煙者の追跡調査と統計分析による検証もある。同様に、経営学においても、一般的な法則性を探るといっても、さまざまなアプローチが存在する。非常にミクロなレベルでのメカニズムの検討から、マクロレベルでの企業経営と企業業績の関係などである。


経営学は、さまざまな分析視角からできるだけ科学的・客観的な証拠をもって、経営の意思決定やその他の施策における一般的な法則性を見出そうとするのである。