流れの論理

時間と共に物事が展開していく様子を流れとして捉える場合、自分自身もその一部であると考えるのが自然である。自分だけ静止しているはずもなく、変わり(動き)続けている。


なんらかの勢いや方向性を持って流れが展開している場合、それが、自分自身の力を超えたレベルでの大きな流れである場合、自然にそれに沿う、運ばれる、乗っかるという状態や、あえてそれに逆らってもがいているといった場合や、あるいは、ただ流されている、飛ばされているという状態が考えられる。


自分自身も流れの一部であると同時に、他者も流れの一部であり、皆でものごとの展開としての流れに加担しているあるいは流れを作っている場合は、自分自身がその流れの勢いや方向性を変えようと努力し、実際に変えることができたりできなかったりするだろう。自分のみならず、他者がその動きに同調するのかどうか、反対するのかにもよるだろう。


新しい物事の展開をつくりだすという意味で、新たな流れをつくることもできる。自分が主導になって新しい展開を作り出し、その展開に周りの他者を参加させる、巻き込んでいくことによって、展開の方向性が定まり、勢いが大きくなっていったりする。他者が作り出した流れに意図的に加担していくことによって、自分に有利な展開をさらに増幅させる、大きくしていくという方法もあるだろう。