世界の誕生

人間にとって、世界というのは、言葉の出現とともに出現した。人間は、動物の1種として、あくまで目や耳など、五感を通じて得られる情報によってのみ、外界を認識することができる。五感を通じて得られた情報を、言語(記号も含む)というかたちで表現することによって、それが共有され、蓄積されるとういうことが可能になった。言語や記号は、論理構造や演算が可能であるため、それを用いた世界の理解が、哲学から自然科学へと急速に発展したわけである。


そして人間は、長い年月を経て蓄積された、言語・記号による、自分たちの五感で得られる可能性のあるもののみの情報を、世界であると考えるようになった。つまり、ほんとうの世界を人間は永遠に知ることができない。人間が限られた能力を持った動物であるかぎり。しかし、人間は、あくまで言語・記号で表された、かつ、五感でしか得られない情報のみによって組み立てた模型(モデル)そのものを、世界であると錯覚するようになってしまったのである。


例えば、時間というのは、まさに人間が考えた「概念」である。時間など世界には「ない」のであるが、世界を理解するために「時間」を人間が発明した。それを、知らぬ間に、時間というものが実在するものだという思考になってしまう。だから、世界には、始まりと終わりがあるのだと推論し、世界の始まりはいつか、終わりはいつかを議論するようになる。しかし、本当をいうと、そんなものは、ない。人間が作り出したものだからだ。


空間という概念は、人間が眼を持っているから、そこから得られる情報を活用するために生まれたものである。けれども、人間は、空間こそが世界の本質だと勘違いしてしまう。だから、空間が実在であると錯覚し、宇宙のはてはどうなっているのだろうか、ということを議論するようになる。しかし、本当をいうと、そんなものは、ない。人間が作り出したものだからだ。


だから、突き詰めれば、われわれが世界だと思っていることは、すべて人間が作り出したものである。そして、その原因は、言語が出現したからである。言語が出現していなかったならば、いまわれわれが世界だと思っているものは、すべて「ない」ことになる。