飛躍するベンチャー企業

帯より(まえがきより)
ラクリカバリーと呼ばれた日本の戦後復興を支えてきた伝統ある名門と呼ばれる企業の多くが、なぜ長期にわたり元気が出ないのか。なぜ、日本には我々のような試みをする起業家が、他の先進国に比べて異常に少ないのか。両者の間には因果関係はないのか。そんなことを、極めて局所的でしかない経験を通して見えてきたことを、偏見を省みず述べてみた。そうすることによって、まずは我々自身の「飛び方」を改良し、質的な飛躍をしてみたい。燃料もエンジンも備えた乗り物作りに役立てたい。実は、我々のようなビジジネスモデルにとって、いま追い風の世紀に突入しているということを検証したい。

まえがきより
わが国は、たとえてみれば日当たりのよい尾根伝いの長い上り坂を登り詰めた1991年ごろから、稜線を離れ、深い谷に向って急峻な下りの山道を降りはじめて久しい。終わりの見えない下り坂を行く登山パーティの多くのメンバーが、「何かおかしい」「道を間違えたのではないか」という焦りを抱きはじめている。
・・・「尾根の上り道」がちょうど終わっていた1991年に、そうとも気づかずに、無謀にもこの日本でベンチャーを興した。まるで、ハンググライダーを担いで稜線の端から宙に飛び出したかのように、期せずして足元の地面が下へ崩れはじめていた。いわゆる「失われた10年」と呼ばれる時代、無我夢中でハンググライダーのようなものをきりまわしているあいだにその10年余りが過ぎ去り、始めたベンチャー企業は運よくも日本でも台湾でもIPOを果たし、成長を継続している。しかし、もしかすると巨大な地殻変動をもたらすような地表の激震を、ほんの束の間、ハンググライダーで退避しただけなのかもしれない。もし燃料もエンジンもない乗り物であるならば、結局は尾根の高さの位置エネルギーと風とを利用しただけで、ほんの少しのあいだ、衝撃をやり過ごしただけなのかもしれない。