組織の経路依存性試論

あくまで試論レベルの話だが、例えば、総合商社を例にとってみよう。


総合商社は、戦後の日本企業が海外に進出をするさいに重要な役割を担ってきた。とりわけ、日本人で構成される日本企業が、欧米に対するコミュニケーションの劣位性を補いつつ海外進出を行なうためには、海外のビジネスに精通し、語学やコミュニケーションに長けた人材を豊富に抱える総合商社に、海外進出のさいのやりとりをアウトソースすることが合理的であったのである。


よって、日本企業そのものが、非常に日本的であり、グローバルに活躍できる語学に堪能な人材もそれほど多くないのにもかかわらず、日本の製品そのものはグローバル化し、世界を席巻することができたのは、総合商社がそこに仲介していたことによる功績が大きいと考えられるのである。


しかし、グローバル化が当たり前の社会となり、日本企業の多くもグローバル企業となっていくなかで、昔のような商社の貿易仲介機能のようなものはだんだんと存在価値がなくなってくる。商社はもともと仲介することが商売であるわけだが、ITの発達や流通構造の変革、中抜きの進展などによって、仲介機能の存在意義がますます薄れていく。つまり、もともとの商社の存在意義であった機能自体が、必要とされない世の中になっていく。


旧来の商社の機能が必要なくなったからといって、総合商社が滅亡することはなかった。むしろ、組織は、それ自体、環境変化に適応しながら生き抜こう、生き残ろうとする存在であると仮定するならば、総合商社は、生き残るために、現代のビジネス社会が必要としているものは何かについて真剣に考え、それを満たすビジネスに新たに進出することによって、実際に生き延びているのであると考えられる。もちろん、そのさいには、まったく新しい分野に進出するわけではなく、当然のことながら自社のもっている強み、つまり旧来のビジネスの強みを生かしつつ、新しいビジネスを切り開いていくことになる。ここに、経路依存性が働くと考えられる。


何がいいたいかというと、適者生存の法則にしたがい、現在のビジネス社会に必要のないものは滅び、新たに必要とされるビジネスが隆盛してくるという単純な世の中の構造になっているのではなく、本来ならば滅びてしかるべき組織たちが、自分自身、なんとか環境変化に適応していこうとするなかで創意工夫が生まれ、旧来のビジネスとは似使わぬビジネスに形を変えながら生き抜くという現象が見られるのではないだろうかということである。例えば、「造船」と名のつく企業が実際に造船業をやっていなかったり、自動織機と名のつく企業であってもその製品の貢献度は微々たるものであったり、過去の名残は残っているが、まったく異なる姿として現在のビジネス世界で戦っている企業も数多くあるのではなかろうか。