『職業としての小説家』から考える職業としての研究者

村上(2015)は、自分自身が「あまりにも個人的な考え方をする人間」であり、「ある意味では身勝手で個人的な文章」と断りをいれつつも、誰のために、どのように、そしてなぜ小説を書くのかなどについての自伝的エッセイを披露している。村上の「職業としての小説家」というエッセイ集から、論文の執筆を重要な仕事の1つとする職業としての研究者のあり方について考える材料となりそうな点をいくつか挙げてみたい。小説を研究に、小説家を研究者に置き換えて読んでみるとよいだろう。


まず、なぜ村上は小説家になった(なれた)のか、小説家になるためにはどうすればよいのか。これに関して村上は、ゆくゆくは小説家になろうと心を決めてそのための特別な勉強をしたり、訓練を受けたり、習作を積み重ねたりしながら段階を踏んで小説家になったわけではないという。彼の人生におけるおおくのものごとの展開がそうであったように「あれこれやっているうちに、なんだか勢いと成り行きでこうなってしまった」というところがあるという。とはいえ、小説家になろうという人に重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことだという。これはやはり小説を書くための何より大事な、欠かせない訓練になるという。なぜなら、小説というのがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として理解しなくてはならないからである。


では実際に小説を書くプロセスとはどんなものか。これに関してはまず、小説を書くというのは、あまり頭の切れる人に向いた作業ではないと村上はいう。小説を書く、あるいは物語を語るという行為は、かなりの低速、ロー・ギアで行われる作業だからだという。小説を書くというのはとにかく実に効率の悪い作業で、基本的にはずいぶん「鈍臭い」作業だという。一人きりで部屋にこもって「ああでもない、こうでもない」とひたすら文章をいじる。丸一日かけて、ある1行の文章的精度を少しばかり上げたからといって誰かが拍手してくれるわけでもない。やたら手間がかかって、どこまでも辛気くさい仕事なのだと村上はいうのである。そして、小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくないが、小説家という職業として小説をずっと書き続けることはずいぶんとむずかしい。誰にでもできることではないと村上はいう。だいたい小説なんか書かなくても人生は聡明に有効に生きられるのに、それでも書きたい、書かずにはいられない、という人が小説を書き続けるのだという。


さて、村上は長編小説をどのようにして書いているのか。彼は、長編小説を書く場合、1日に400時詰原稿用紙にして10枚検討で原稿を書いていくことをルールとしているという。もっと書きたくても10枚くらいでやめておくし、今日は乗らないなと思ってもがんばって10枚書く。タイムカードを押すみたいに、一日ほぼきっかり10枚書く。そんなのは芸術家のやることではなく工場と同じじゃないかという人がいるが、「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」というアイザック・ディネーセンと同様、これが彼が自由人として選択したスタイルなのだという。


ただ、長編小説は、いったん書き終えたところからまた別の勝負が始まるという。時間のかけがいのあるおいしい部分ということである。ここで大事なのは、書き直すという行為そのものだという。「ここをもっとうまく書き直してやろう」と決意して机の前に腰を据え、文章に手を入れる。そういう姿勢そのものが何より重要な意味を持つのだと村上はいうのである。時間は、作品を創り出していくうえで非常に大切な要素で、とくに長編小説においては「仕込み」が何より大事になるのだという。そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることができたかどうかは必ず作品の「納得性」になって現れてくるので、「時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じることができるのだという。このような執筆作業を職業人として我慢強くこつこつと続けていくためには何が必要かというと、それは言うまでもなく持続力で、その持続力を身に着けるためには基礎体力をつけること、すなわち逞しくしぶといフィジカルな力を獲得することなのだと村上はいう。


最後に、オリジナリティについて。村上の考え方では、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、基本的に次のような条件がみたされていなくてはならないという。1つ目は、ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイルを有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。2つ目は、そのスタイルを自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。つまり時間の経過とともにそのスタイルが成長していく。そして3つ目は、その独自のスタイルが時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断の一部として取り込まれていく、あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。このように、時間の経過も重要な要素であるため、1人の表現者なりその作品なりがオリジナルであるかどうかは「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」と村上は指摘するのである。

赤池情報量基準(AIC)とは何か

経営学をはじめとする学術研究のうち数量的研究では、検証したい理論や仮説を数量的にモデル化し、収集したデータを用いた統計分析を実施することで妥当性を検証する。その際、個々の仮説、例えば個別の変数間の関係を検証するのみならず、構築したモデル全体がどれくらい適切なのかも検証する必要がある。その際に、候補となる複数のモデルから最適なものを選び出すというアプローチが必要になる。どのような統計的な方法で最良なモデルの判断および意思決定をすればよいのだろうか。


これに関して、三中(2018)は、1970年代に提唱された赤池情報量基準(Akaike Information Criterion: AIC)が、現在の統計的モデル選択論の中核となる概念であり、統計学にとどまらず科学哲学の分野にも影響を広めつつある基準であると説明する。AICの要点を理解するためには、尤度および最尤法についての理解が必要となる。統計学の分野では基本中の基本である尤度とは、ある仮説を固定した場合にデータがどのような確率密度の値をとるかに着目するのではなく、データを固定したうえで仮説を可変として考えることで、異なる仮説間の相対的評価を行おうとするものである。具体的には、ある仮説のもとで観察データが生じる確率の積として定義され、未知パラメータの値によって尤度が変化するため、尤度は未知パラメータの関数だといえる。そして最尤法とは、得られたデータのもとで尤度が最大化するようにパラメータを決める方法である。


最尤法においてはデータの当てはまりの良さ(適合度)を手がかりとしてパラメータを推定していく方法であるがゆえに、候補となる複数のモデルを選択する際に、より複雑なモデルほど適合度が上がるという性質を持っている。これは、パラメータを増やせば増やすほど、目の前にあるデータをより反映したモデルになっていくため当然ではある。しかし、このような方法の問題点は、目の前にあるデータにもっともフィットしたモデルが一般的にも最良なモデルとは限らないということである。なぜならば、目の前にあるデータは母集団から抽出したサンプルにすぎないからである。この場合、もう一度サンプルを取り直したデータであったらフィットがあまりよくないモデルということも考えられる。つまり、ありうる母集団のサンプルのうちの1つにしかベストフィットしていないモデルということになり、それが最良のモデルかというと疑問が出てくるのである。


それに対して、AICでは、母集団から無作為抽出されたときのデータに伴うばらつきを考慮して、すなわち得られたかもしれない別のデータのばらつきも考慮して尤度の期待値を求めようとする方法である。この方法は難解であるが、まず、尤度は掛け算の式なので計算しやすいように対数をとって対数尤度を求めたうえで、それをサンプル数で割った平均対数尤度を考える。その期待値としての期待平均対数尤度の式を求める。期待対数尤度の求め方には、テーラー展開やFisher情報行列を駆使する。そうすると、なんと、期待平均対数尤度の不偏推定値が、「最大対数尤度−パラメータ数」という極めて単純な尺度によって表現されることが分かったのである。AICはこの不偏推定値を踏まえ、AIC= -2*(L(θハット)-k)として定義される。


このように、赤池情報量基準(AIC)ではデータに対するモデルの当てはまりのよさを対数尤度で評価する一方で、モデルのもつ複雑さ(自由パラーメータ数)をペナルティーとして課すことで、複雑なモデルを当てはめるだけでは「よい仮説」とはいえず、三中によれば、中世の形而上学から継承されてきた「オッカムの剃刀」と呼ばれる最節約原理(シンプルなほどよい)の現代的効用を理論統計学から再評価したと読み取ることが可能なのである。

統計分析において誤差分布が極めて重要な理由

経営学をはじめとする学術研究のうち数量的研究では、検証したい理論や仮説を数量的にモデル化し、収集したデータを用いた統計分析を実施することで妥当性を検証する。統計分析について、一見するとあまり脚光を浴びていないように思えるが実は極めて重要なのが、統計分析における誤差の分布である。例えば、近年経営学でもよく用いられるマルチレベルモデルあるいは線形階層モデルを例に挙げると、これらのモデルは複雑そうに見えても、誤差項を除いた変数間の関係は交互作用が伴ったり伴わなかったりする重回帰分析とさして変わらない。だからといって一般的な最小二乗法を基本とする重回帰分析を用いることは不適切である。その理由の多くが、統計モデルにおける誤差の分布に起因するのである。


三中(2018)は、統計モデルを「個別データ=総平均+効果+誤差」のように単純化して考えた際、効果と誤差の関係を、効果=旋律(メロディー)に、誤差=雑音(ホワイトノイズ)に例えている。この例えでいえば、統計分析の目的は、理論モデル(すなわち旋律)が、実際のデータにどれだけクリアに現れているか(クリアに聞き取れるか)を検証することである。旋律に対して雑音が大きすぎると旋律が聞き取れない。だから、旋律が正しいかどうかさえもわからないので、モデルが妥当でないか、データ収集が不適切であるかのどちらかだという結論に至る。雑音が少なければ、旋律がきれいに聞き取れるのと同時に、それが適切かどうかもわかるというわけだ。現実のデータでは誤差がゼロということはありえないため、理論モデルに対して統計モデルでは必ず誤差項が含まれるということになるのである。これが概念的にみた誤差の重要性である。


統計学的にみた誤差の重要性は、統計分析としてはもっとも頻繁に用いられる基本形としてのパラメトリック統計分析(分散分析や回帰分析などの線形モデルなど)を例に挙げると分かりやすい。まず、パラメトリックな統計分析でもっとも重要な確率分布が正規分布である。なぜ、正規分布がそれほどまでに重要なのか。あるいは三中の言葉を借りれば「なぜ正規分布パラメトリック統計学を統治しているのか」。それは第一に「線形変換における正規性の保存」という法則性を正規分布が有している点にある。これは、正規分布は線形変換しても正規分布になるということである。また、平均と分散がそれぞれ異なる複数個の正規分布をもつ確率変数を線形結合した確率変数も正規分布になる。また「中心極限定理」により、母集団がいかなる確率分布にしたがっていたとしても、無作為抽出された標本から計算された標本平均の分布は正規分布に収束していくというのもある。そして、正規分布からカイ二乗分布やF分布など、統計的仮説検定に必要な他の確率分布をつくりだせる(変換できる)という特徴がある。よって、パラメトリックな統計分析では正規分布が極めて重要な位置を占めていることがわかる。


先に挙げたとおり、統計分析では、観測されるデータのうち、効果(旋律)の部分と誤差(ノイズ)の部分を比べることによって、モデルや仮説の適切さを判断すると書いたが、通常はこれを統計的検定の推論によって行う。例えば単純な分散分析を例に挙げると、効果がないとする帰無仮説を棄却できれば、効果の存在をデータが支持するわけであるが、帰無仮説の「個別データ=平均+誤差」をみた場合、誤差が正規分布にしたがうならば、その線形変換としての観測データも正規分布に従うということがいえる。そして、観測データが正規分布に従うならば、分散分析のプロセスにおいて計算される全平方和と、それを分割した効果の平方和+誤差の平方和に対応する、全偏差、効果の偏差、誤差の偏差も正規分布に従うことが証明できる。ということは、正規分布を二乗することでカイ二乗分布がつくりだせるため、効果の平方和と誤差の平方和がそれぞれカイ二乗分布に従うことが証明される。そして、2つのカイ二乗分布を自由度で割った値の比がF分布にしたがうことが分かっているため、F分布をもちいたF検定を用いることによって、統計モデルの妥当性を検証することができるというわけである。この分散分析の例をかんたんにまとめると、F分布を用いてモデルの妥当性を検証できる論理的・統計学的な理由の1つに、誤差が正規分布に従っているという仮定があるのである。


上記の例をもっと正確にいうならば、分散分析でF値を用いて統計的検定を行うためには、モデルの誤差が、操作や効果の度合いや有無に関わらず独立かつ同一の正規分布にしたがっていなければならない。つまり誤差の確率分布の「独立性」と「正規性」が保たれていなければならない。別の言い方をすれば、誤差の確率分布の独立性と正規性が保たれていなければ、F分布を用いて検定をする正当性を論理的に導けないため、それは不適切あるいは間違っており、誤った結論を導くことにつながるということになる。独立性と正規性が保たれていることを確認する1つの指標が「等分散性(homoscedasticity)」である。これは、分散分析や回帰分析における効果の水準や独立変数の値ごとに、正規分布の分散が常に等しいということである。これらの条件を含めて単純に「誤差項が正規分布に従う」というのが、線形モデルの極めて重要な前提であり、逆にいうと、誤差項が正規分布に従っていれば、外見的には非線形にみえるような統計モデルでも、例えば二次関数やさらに高次な曲線を表す多項式のようなモデルでも「一般線形モデル(general linear model)」の1つとして扱うことができると三中は説明している。


ところが、1970年代になって、正規分布以外の確率分布を誤差にもつような場合でも線形モデルとして分析できるような「一般化線形モデル(generalized linear model)」が開発された。例えば、一般化線形モデルは、正規分布のみならず、指数分布族で表現される確率密度変数すべてに適用できると三中は述べている。指数分布族には、ガンマ分布、二項分布、ポアソン分布などが含まれ、その結果として従属変数が2値であるロジスティック回帰分析などの分析が可能になった。つまり、統計分析における確率分布に関する仮定を緩めることで、幅広いデータやモデルを扱えるようになってきたということである。また、固定効果とランダム効果の双方を含む線形モデルとして、線形混合モデルや一般化線形混合モデルなども開発され、マルチレベルモデルや階層線形モデルもその1つとして扱えるようになったのである。

グラウンデッド・セオリー・アプローチを支える3つのパースペクティブ

グラウンデッド・セオリー・アプローチとは、質的研究の1つで、リアルな世界に立脚した形で理論を構築したり理論を精緻化するための方法論である。リアルな世界の現象をとらえた具体的な質的・量的データから出発し、データを分析することで、新たなアイデアや抽象概念が生まれたり、新たな理論や仮説が出現したり、新たな発見や洞察が得られたりすることを狙いとする。グラウンデッド・セオリー・アプローチでは、現実のデータを柔軟に扱いつつ、研究者が創造性・想像性を働かせ、内省し、抽象的に思考することで、リアルな世界に立脚した新たな理論が生まれてくる点を特徴とする。


Gligor, Esmark, & Gölgeci (2016)によれば、グラウンデッド・セオリー・アプローチ自体が、今でも継続的に発展段階にあり、この方法論の意義や正当性を支える哲学的視点については少なくとも3つのやや異なったパースペクティブがあることを指摘する。それは、グラウンデッド・セオリー・アプローチの創始者であり立役者である人々とのつながりもあり、1つ目は、Glaser的なパースペクティブ、2つ目がStrauss & Corbin的なパースペクティブ、そして3つ目が構築主義パースペクティブである。


Glaser的なパースペクティブとは、グラウンデッド・セオリー・アプローチを、具体的なデータを抽象的概念化し、柔軟な概念間比較を繰り返すことで、新たな理論を発見する方法として捉える。Glaser的なパースペクティブでは、調査によって得られる経験データから特定のパターンが自然と沸き上がってきて、調査対象となる人々の視点からみた現象記述が自然と浮かび上がってくると考える。このように、データから自然に発見が浮かび上がってくることを重視するため、調査や分析自体のプロセスを厳密に規定しない。データにすべてを語らせるために柔軟に調査・分析に臨む態度を重視するといってもよい。


一方、Strauss & Corbin的なパースペクティブでは、Glaser的なパースペクティブと基本理念は共有しながらも、研究結果の正確性や一般化可能性を高めるため、データ分析のプロセスをよりシステマチックにしようとする。別の言い方をすれば、Glaser的なパースペクティブでは柔軟性を重視し、プロセスにあまり気を使わないがゆえに、得られる結果の正確性、信頼性、妥当性に疑問が残る可能性がある。したがって、Strauss & Corbin的なパースペクティブでは、数量的研究における信頼性・妥当性、再現可能性、一般化可能性、統計的有意性といった発想を援用し、データ収集・分析プロセスは、最初の設定したリサーチ・クエスチョンによって方向性が規定されると考える。リサーチ・クエスチョンを設定したうえで、できるだけ客観的にそのリサーチクエスチョンに答えるためのデータ収集とデータ分析が行われる。このようにStrauss & Corbin的なパースペクティブでは、帰納法を実践する厳密な現代科学的方法論としてのグラウンデッド・セオリー・アプローチの確立を目指すわけである。


構築主義パースペクティブは、もっともポストモダン的な考え方である。このパースペクティブでは、Glaser的なパースペクティブと同様に、調査分析プロセスを現代科学風に厳密かつシステマチックに行うことを重視しない。そうすることで新たな理論が生み出させるような柔軟性を失うからである。ただし、新たな理論というのは、経験データから直接的に導かれるのではなく、必ず研究者の解釈・翻訳作業が介されることで生まれると考える。解釈や翻訳というのは、それを行う者の主観やバイアスから逃れられるものではないから、客観性を重視する現代科学の考え方とは趣が異なる。むしろ、構築主義アプローチが重視するのは、単に現象を記述することではなく、調査対象となっている人々が、どのようにして現象を意味づけているのか、すなわち本人たちによって経験された現象から意味が生み出されるプロセスを理解することなのである。そういった意味形成は、言語・文化・シンボルを用いて行われるわけであるから、これらの諸概念とも密接にかかわってくるのである。

文献

Gligor, D. M., Esmark, C. L., & Gölgeci, I. (2016). Building international business theory: A grounded theory approach. Journal of International Business Studies, 47(1), 93-111.
Glaser, B. G. (2002). Constructivist grounded theory?. In Forum qualitative sozialforschung/forum: Qualitative social research (Vol. 3, No. 3).
Corbin, J. M., & Strauss, A. (1990). Grounded theory research: Procedures, canons, and evaluative criteria. Qualitative sociology, 13(1), 3-21.

優れた理論とは何か

経営学に限らず、学問の世界では、優れた理論の構築が目的とされる。優れた理論は、人々の世界観や思考・実践のあり方を変え、世界を変える力を持っている。では、優れた理論の条件とは何だろうか。Gligor, Esmark, & Gölgeci (2016)は、先行文献をまとめつつ以下のように説明する。


まず、Gligorらは、優れた理論の条件として「明晰で論理的に統合されている」「実践に対して新たな洞察、効用、関連性、先見性を提供する」「現象を記述・説明・予測し、究極的には統制することを可能にする」。とりわけ3番目の視点が示しているように「現象の記述・説明・予測」の織り込みが理論の構成要素だといえる。現象の記述するだけでは理論といえないが、理論構築には現象の記述が必要不可欠で最初のステップである。そして現象を予測し統制することも実践上は非常に重要であるが、ただ現象を予測するだけで、なぜそうなるのかの説明がなければ理論とはいえない。つまり、優れた理論の本質は、現象の記述と予測を超えた「説明」という点にあることをGligorらは指摘するのである。


上記の後半部分をさらに詳しく説明しよう。Gligorらは、完成された理論には「what」「how」「why」「who, where, when」の4要素が必要だというWhetten(1989)の論説を紹介している。「what」は、特定の現象を説明するために、どのような概念や変数を用いるのかということである。「how」は、「what」で特定された概念や変数がそのような形で関連しているかということである。そして一番大切な「why」は、「what」「how」で指定した概念間・変数間の関連性を心理的、経済的、社会的などのメカニズムを用いて説明することである。つまり、なぜそうなるのかの説明である。そして最後の「who, where, when」は、「what」「how」「why」で構築した理論の適用範囲を規定する。特定の理論がありとあらゆる場面で、いつにおいても成り立つと主張するのではなく、「いつ、どこで、誰にとって」その理論が成り立つのか、理論成立の境界範囲を明確にするということである。


このように優れた理論とは何かについて理解すれば、おのずと経営学研究者と実務家が行うべき仕事の違いが明らかになる。おそらく実務家にとって一番大切なのは、「what」「how」「who, where, when」の3要素であり、経営学研究者の使命は、「why」をしっかりと追究することである。つまり、実務家が知りたいのは、どのような条件で、何を、どのように行えば、良い結果が生み出せるのかである。とりわけ、何を(what)、どのように(how)が重要である。例えば、マイケル・ポーターの戦略論を勉強し、「業界分析が行われ(what)、分析に基づいた自社のポジションが定められ適切な戦略の策定と実行がなされれば成功する(how)」というような発想で実践を行う。これをブレイクダウンすれば、「どのようにすれば構築された戦略(what)がうまく実行できるか(how)」という発想につながる。「who, where, when」を考慮しつつ、「what」と「how」の思考の組み合わせで実践のつながりが形成される。


経営学研究者は、このような実務家の発想に与する仕事をしてはならない。何故ならば、経営学研究者の使命は、上記のような実務家の発想と実践の後ろに隠れた「暗黙の前提」を疑い、それに替わる「視点」「パラダイム」を生み出すことであるからである。ここでいうところの「暗黙の前提」こそが「why」なのである。なぜ、業界分析・ポジショニングが競争優位につながるのか(why)という発想で研究を行う必要があるわけである。ポーターの理論の場合は、whyの説明に経済学の産業組織論の考え方が適用される。経営学研究者は、「どうすれば企業が競争優位性を獲得できるか(how)」ではなく、「なぜ特定の企業が競争優位性を獲得できるのか(why)」の思考を推進しなければばならない。このような思考を突き詰め、ポーターの産業組織論的なwhyの説明とは異なる新たな視点として提示された理論がバーニーの「資源ベース理論」であることは周知のとおりである。バーニーの理論は、他社よりも優れた資源を有しているから競争優位性が築ける(同義語反復に過ぎないという批判もある)という説明の仕方をする。


実務家の間でバーニーの資源ベース理論が知られていない時代には、マイケル・ポーターの理論的説明が実務家の暗黙の前提となって「what」と「how」が実践されてきた。しかし、バーニーの資源ベース理論を前提とするならば、実務家の「what」と「how」がまったく異なる組み合わせになる可能性があることが分かる。戦略論にポーター理論のみしかない場合、「どこでどんな活動を(what)、どのように行うか(how)」を中心とする発想と実践が企業の成功につながる。しかし、バーニーの理論が正しいとするならば、「どんな資源を(what)、どのように獲得、蓄積させるのか(how)」を中心とする発想と実践が企業の成功につながる。つまり、資源ベース理論の登場により、ポーターの理論にしたがった戦略をとらなくても企業が競争優位性を築ける可能性があることに実務家が気づき始めたということである。実務家が何に着目し(what)、それを用いてどのように経営を行うのか(how)を変える力を資源ベース理論が有していたということである。だからこそ、資源ベース理論は「実践の役に立つ」理論だといえるのである。

文献

Gligor, D. M., Esmark, C. L., & Gölgeci, I. (2016). Building international business theory: A grounded theory approach. Journal of International Business Studies, 47(1), 93-111.
Whetten, D. A. (1989). What constitutes a theoretical contribution?. Academy of management review, 14(4), 490-495.

数量的研究の論文を査読する際のチェックリスト

研究者であれば、同分野の雑誌に投稿された論文を査読する機会が増えてくる。投稿論文の査読は、投稿された論文の内容を、科学的厳密性、妥当性の観点から批判的に評価することである。批判的評価といっても、当然分野によってその判断基準が異なってくることが考えられる。しかし、共通する一般原理のようなポイントはある。Nielsen (2018)は、数量研究の査読に焦点を絞り、とりわけ方法論の適切性を判断するための一般的な原理に則った形で、適切な査読を行うためのチェックリストを提供している。適切な査読の方法を身に着けることは、自分自身が研究者として、査読者の視点に立ち、ハイレベルの学術雑誌に掲載可能な科学的厳密性や妥当性を担保した論文を作成する能力を身に着けることにもつながる。以下に、そのチェックリストを紹介する。

1. リサーチ・クエスチョンの関連性と新規性

リサーチ・クエスチョンは、当該研究テーマのこれまでの知識の蓄積や対話と関連づけられるかたちで設定しているか。そして、そのリサーチ・クエスチョンに答えることで、当該分野に新たな知識を追加するすなわち付加価値を与えることにつながるか。つまり、リサーチ・クエスチョンは当該分野の発展に貢献することができる可能性を秘めているものなのか。

2. リサーチ・デザインの適切性

リサーチ・デザインには、探索的、説明的、因果関係の検証など様々なものがあるが、一番重要なのは、リサーチ・デザインが、リサーチ・クエスチョンに答えるのに最も適切なものかどうかということである。つまり、適切なリサーチ・デザインであるかの判断は、リサーチ・クエスチョンによって導かれる。

3. 研究方法のバイアスに対する頑健性

研究を行う際、偶然性による錯乱や、測定誤差の存在、サンプリングバイアスなど、さまざまなバイアスが混在する可能性を持っている。よって、これらのバイアスを想定し、あらかじめそれらに対して頑健なリサーチ・デザインを考案する必要がある。バイアスに対する対策ができていなければ、研究結果から得られた結論が誤りを含む可能性を高める。

4. アプリオリな仮説の検証

仮説は、実証研究を行う前に、アプリオリに導出されたものである。結果を得てから、それに辻褄があうように仮説が構築されていないかをチェックする。結果から後付けでつくった仮説には、研究モデル全体を俯瞰する理論的枠組みが欠けていたり、論理展開に不備があったり、検証に必要な変数が抜けていたりするなど、なんらかのサインが含まれている。

5. 統計的証拠

統計的有意性、説明力、効果サイズ、検定力、重要な変数の省略がないなど、適切な統計分析を用いているか。

6. 分析の信頼性と妥当性

欠損値の処理、時間の扱い、コントロール変数の扱い、媒介分析や調整分析、因果関係の判断、共通方法バイアス、多重共線性、自己回帰の可能性などをチェックする。

7. 測定の適切性

プロクシ変数、ダミー変数、カテゴリー変数、連続変数など、適切な変数が用いられているか。それらの変数は、研究で扱っている理論と整合性が取れているか、などをチェックする。

8. データによる結論の正当化

分析結果から十分に言えない結論を強引に導いていないか(過大評価)。分析結果を過小評価していないか。結果の一般化可能性を適切に論じているか。

9. すべての関連事項の報告

ロバストネス(頑健性)、コントロール変数、基本統計量と相関行列、効果サイズなど、必要な情報を漏れなく報告しているか。

10. 倫理的基準

剽窃、データのねつ造、機密保持データの誤った公開、非倫理的なデータ収集、ずさんなデータ保持、二重投稿などがないかチェックする。

京都大学国際高等教育院 外国文献研究 推薦図書リストの紹介

京都大学国際高等教育院 外国文献研究 推薦図書リストの紹介


この授業は、主に大学2年生向けに、英語で書かれたビジネス分野の入門テキストを用いて英語文献を読みこなす能力とビジネスに関する知識の両方を獲得することを目的とした授業です。毎回の授業で、該当するチャプターに関連するビジネス分野の名著を紹介しています。洋書(英語版)と、翻訳本(日本語版)の両方を提示していますので、英語でビジネスの知識を身に着けたいかたは是非、英語版を読んでみてください。もちろん、日本語版であってもビジネスの要諦を身に着けることができるでしょう。



第2回 1. The business eco-system



Zero to One: Notes on Startups, or How to Build the Future
ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか


第3回 2. The mind of the entrepreneur



The Lean Startup: How Today's Entrepreneurs Use Continuous Innovation to Create Radically Successful Businesses
リーン・スタートアップ

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