見の目、観の目

小山(2006)は、宮本武蔵による「見(けん)の目」と「観(かん)の目}を紹介している。


「見の目」はある一点に集中する視線で、トランス系の集中力である。この場合、時間の流れはあっという間にすぎ、精神的高揚状態で狭い視界に集中している。よって声をかけかれれも気づかないほどである。自分の内面に没頭していくのである。


それに対し、「観の目」は、全体をまんべんなく把握する広い視界である。視界が限りなく広がり、外からの情報が遮られることなく取り込まれてくる。時間はゆったりと流れ、心は落ち着いた状態で、自分自身だけでなく、自分を取り巻く環境へと没頭する。よって、自分自身がとけこんで環境の一部となってしまい、環境全体のささいな変化も感じ取ることができるようになる。


見の目によるトランス系集中力が「時間を忘れる」類のものであるのに対し、観の目によるジャズ系集中力は、時を止めたり、スローモーションにしてしまうものなのである。