プロフェッショナリズムと武・芸道

わが国におけるプロフェッショナルを捉えるのに、1つの視点を提供したい。それは、武・芸道といった「道」であり、そこで行なわれる稽古、そして素人から名人を目指す人間的成長である。


日本の芸道や武道は仏教の修行形式を模倣することによって成立した。それは歌論に始まり、能、狂言、茶道を経て、武道にまで及ぶ。初心者から名人にいたる階梯をたどることが「道」なのであり、それにいたるまでの訓練が「稽古」なのである(亀山 2003:54)。


武・芸道においては、身心鍛錬の果てに身心の合一(無心)に至ることが理想とされた。仏教、なかでも禅宗における究極の目標は、仏陀と一体化するすなわちわが身を仏と化すことであり、そのために身心を鍛錬し、難行を重ね、瞑想を行なう。これらの身心合一にいたる過程としての厳しい身心の鍛錬を要求するプロセスは「修行」と呼ばれ、それが階梯化されると「道」となる(亀山 2003:76-77)。


修行とは、世俗的な日常経験を超えた、厳しい拘束を自己の身心に対して課すことにより、平均的人間以上の「生」にいたろうとする。「人間の向上」「人間形成」を目指すものである。そして、戒(外向的実践)と定(内部的実践)の両者があわさるところに慧(悟りの境地)が成り立つ。悟りの境地とは、無我の状態において存在の実相をみることである(亀山 2003:46)。


身心合一(無心の境地)というある種の「神秘的体験」は、単なる行為にとどまらず、常時その状態を常時生み出すことができる人格的変容がもたらされることが目指されており、それができるのが「名人」という地位であり、「道」はそれを目指すプロセスである。

参考文献

亀山佳明(2003)「フロー経験と身心合一」今村・浅川編「フロー理論の展開」
フロー理論の展開
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