思考実験:異なるパラダイムで交互に見る

異なるパラダイムは、その共約不可能性によって、共存はできない。
お互いに相容れない仮定・前提のもとで論理・見解を組み立てるからである。


そこで、同一現象や同一事象を、異なるパラダイムで交互に説明してみるということの有効性について指摘してみたい。


これは「複眼思考」とも関連いているわけだが、パラダイムを通じて物事を見ることは、「色眼鏡」で見ることにほかならず、かつわれわれは通常、その色眼鏡をはずして物事の本質を捉えることができないのであるから、少なくとも、複数の色眼鏡をつけかえて見ることによって、その本質理解に役立てようということである。


本質というものを、3次元立体というメタファーで捉えるならば、われわれは色眼鏡を通じて、ある特定の角度から2次元の映像としてその本質を「見る」ことになる。わかりやすくいえば、本質という3次元の物体を、2次元である写真に撮るようなものである。


しかし、それだけで、本来3次元である本質の様子を推測してしまうには危険がある。例えば、特定のアングルからとった2次元の写真だけでは、その物体の真後ろについては何の情報もないのだ。


だとすれば、真後ろに回って写真を撮ることが不可能であるとしても、少し別の角度から(別のパラダイムレンズで)、本質を写真にうつし、様々なアングルからの撮影結果を収集することにより、それを組み合わせて本来の3次元立体としての本質を再現するわけである。


別のメタファーを用いるならば、いろんな部分の化石を採取して、それを組み合わせることによって、われわれが実際に見たことのないはずの恐竜の姿を、あたかもそれが存在していたほんとうの姿であるかのように再現することに近い。われわれが直接経験していない歴史的事実にしても、犯罪の捜査にしても、1つの証拠だけで事実を判断するのには大きな危険が伴うということである。


共約不可能性
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/paradigm.html