五輪フィギュアスケートで明暗を分けたもの


トリノ五輪の女子フィギュアスケートでは、荒川が見事に「金」、そしてアメリカのコーエンが「銀」、スルツカヤが「銅」であった。


技術的にはほとんど違いがないトップ層の選手のオリンピックでの明暗を分けたのは、本番の演技中に「フロー状態」に入ることができたかどうかだと思う。


テレビで見ていた限りにおいては、荒川が最もフロー状態に入っていたのではないかと思う。フロー状態を、わかりやすく、演技中に感じる最も幸福な状態と言い換えてもいいかもしれない。


「自分の実力を出し切るために、とにかく楽しんで滑りたい。メダルが近づいたからといって欲は出さないけれども、向かっていく気持ちで」「何も考えず無心で滑ろうと思っていた」というような本人のコメントがある。まさに荒川は、オリンピックという重圧の舞台であっても、演技を楽しむことにより、音楽、銀板、観客などとの一体感を感じていたのではないだろうか。


フロー状態にあることは、我を忘れ(無心で)演技そのものに集中することを意味している。少しでも雑念が入ると、完璧なフロー状態に入ることができず、それが身体の微妙なバランスに影響し、かすかな乱れがミスにつながるのではないだろうか。


コーエンやスルツカヤは、もしかしたら怪我などの別の要因があったのかもしれないが、重圧や緊張などでどこかに雑念が入り、演技中に完璧なフロー状態に入れなかったのだろう。それが、本来持っている自分の実力を最大限に出し切ることを妨げたのではないだろうか。


荒川は初めから「金」を狙っていったのではなく、あくまで無心で楽しみながら、自分の持っている能力を最大限に発揮することを実行した結果として、「金」を手に入れることができたのだろう。オリンピックという特別の舞台で自分自身がフロー状態に入るということは大変難しいことだと思う。そして、荒川にそれができたのは彼女の天性によるものではなく、様々な修羅場をくぐりぬいてきた結果として身についたものなのだろう。