占いは本当にあたるのか


易学に従うならば、占いが「当たるか当たらないか」は、意味がないということになるだろう。変化するものが運だし、自分で変化を作り出していくものだから、運勢として、運の勢いを占ったとしても、それは変わりうるからである。占ってもらった本人が、運勢を意図的に変える場合もあれば、変化し生成発展する運そのものの働きとして、運勢そのものが自然に変わっていくということもいえる。一番大切なのは、一定の期間を経て「さて、占いは当たったのか」を問うことではなく、常に変化する「いま」を、変化を身体で感じながら生きるための「気づき」「自覚」として、占いを利用するということなのだろう。占いによって「はっとさせられる」ことがある意味「気づき」である。しかし、それは予測でも宿命でもないのである。そもそも、物事を予測しようとする物理学とは本質的に違うのである。物理学は、人間が自然を予測し、統制しようとする学問であるのに対し、易学や東洋思想は、変化そのものが本質であり、自分自身もその変化する宇宙の一部であることを自覚することが大きな目的である。もちろん、運の勢い(方向性)を意図的につけようとする試みもある。典型的なのが「命名」である。子供の人生の方向性(なってほしい姿)を、願いを込めながら、命名によって宿すわけである。当然、易学の考え方にしたがえば、それがその通りに進むとは限らないわけであるが、本人が自分の名前につけられた意味を意識して生きるならば、本人の生き方のみちすじとして、制約条件を課すことになるのである。