情報、シグナル、引き抜き

ケース

わが国では、よい大学に入れればよい会社に就職でき、将来安泰といった風潮があった。そのため、受験戦争は熾烈になり、大学を目指す高校生は、よい大学に入るために塾や予備校にも通いながら一生懸命勉強した。ところが、大学にはいるととたんに勉強しなくなった。大学はレジャーランド化した。


企業は企業で、大学には多くを期待していなかった。むしろ、教育は新卒で入社させてから自前で行なうのが普通だった。だから、大学でどの学科で何を学んだか、学生が見につけた知識やスキルと会社の職務との適合性はあまり考慮しなかった。


では、大学はいったい、学生の能力開発に何の役割を果たしているのだろうか。少なくとも、社会人として仕事を遂行していくうえに必要な知識やスキルを身につけるという視点では、何も貢献をしていないのではないだろうか。そもそも大学生は、中高のときほど熱心に勉強しなくなり、まじめに講義に出席しない学生もいる。そういった学生は、何のための高額な授業料を大学に支払っているのだろうか。そうであれば大学は労せずして授業料を手に入れることができる。普通のビジネスであれば、顧客に何もせずに代金だけ受け取れるオイシイ商売ということになる。なぜそのような関係が成り立ってきたのか。


最近の就活では、学生側の意識として、学生の間に就職に有利となる資格をとっておきたいという傾向がある。それでは、資格を取ることが就職や給料に有利に働くとしても、資格を取得することが、入社後の仕事をうまくすすめるわけではないことも考えられる。そんな状態でも、資格をとることに意味はあるのだろうか。

  • 学校教育(資格の専門学校も含む)は生産性に影響を与えるか
  • 学校教育(あるいは資格の取得)が実際の生産性に影響を与えないとすると、学歴が企業の採用や給与の決定にどのような影響を与えるか
  1. 学歴への投資と、学歴によって得られる生涯収入の増分との比較(企業は個人の能力差は見抜けないため、学歴のみで賃金を決定するとする)
  2. 企業は、高学歴者と低学歴者の生産性の違いと、報酬の違いがバランスするように報酬水準を決定する。そうでなければ、生産性と報酬(コスト)の比で割安な層の需要が増大し、割高なほうの供給が過剰となり、市場による価格調整が起こる。
ケース2

A社は、新卒採用を一切しない。ほとんどの人材を中途採用、しかも、他社からの引き抜きによって調達している。すでに他社で活躍している人材を見つけ出し、彼らにより魅力的な条件を提示して引き抜いてくるのである。引き抜こうとする人材は、すでに実績もあり、能力も確かで、A社にとって採用を失敗するリスクが少ない。もし新卒採用を中心に採用していたならば、筆記や面接では見抜けない優秀な人材をみすみす採用しそこなう可能性もあるし、逆にとんでもない学生を誤って採用してしまう可能性もある。採用して働かせて見ないと、本当に優秀なのか、実績をあげるのかわからない場合があるのである。