前回は、本シリーズ質的研究偏の演習問題としてPletneva (2024)の論文を教材として取り上げ、事前に演習問題を提示した。これから、それぞれの問題についての解説を行っていく。
1)Pletneva (2024)を読む前と論文を読んだあとで、研究対象となっているテーマについての考え方がどう変わるか
要約でクリアに記述されているが、この研究は、愛する人との死別や離別など私生活において悲嘆に暮れるような出来事に遭遇した人々が、どのようにして仕事に救いを求めるのかについての質的調査を行なったものである。質的調査を行なった結果、悲嘆に暮れる人たちは、単に受動的に仕事に救いを求める、仕事に逃げる、そして仕事が「避難所」であることに気づくのみならず、ジョブ・クラフティングという活動をとおして主体的に仕事を「避難所」に変えることをしており、それがポジティブな効果もネガティブな効果も生み出していることを理論モデルとして示している。
この論文を読んで、働く人々の仕事に対する取り組みについて何か見方が変わるだろうか。組織行動や人的資源管理の研究者であれば、ジョブ・クラフティングという概念はよくご存知であろう。ジョブ・クラフティングとは、人々は単に受動的に与えられた仕事をこなすだけの存在ではなく、自ら主体的に仕事を(再)デザインすることを示す概念で、ジョブ・クラフティングによってつまらない仕事を面白い仕事にかえてモチベーションを高めるというような文脈で用いられる。この研究は、私生活において悲嘆に暮れるような出来事に遭遇した人々がそこから救いを求めるためにジョブ・クラフティングを行うのだということを指摘しているところがかなり斬新な視点である。
一般的に、経営学においては、組織における人間行動の理解とか、人々の職場での働き方を考える際に、もっぱら、組織や職場の文脈で理解しようとすることが多い。例えば、ジョブ・クラフティングの研究では、なぜ人々がジョブ・クラフティングを行うのかを理解する際に、現在の組織や職場の状況とか、仕事の状況、ジョブ・クラフティングのしやすさ、あるいは個人的な性質やスキルとかが先行要因になるというような研究が多くなされてきている。であるから、ジョブ・クラフティングの研究対象として、私生活で死別や離別によって苦しんでいる人々を設定していることを目にした段階でまずかなり意表をつかれる。
経営学研究という分野を考えると、この研究対象の選別もかなりの新規性がある。かなり特殊なケースのようにも思えるし、一方で、誰しもが人生で1度や2度は経験することではないかとも思える。一般的な経営学で扱うトピックスにおいて仕事と私生活の関係といったら、まっさきに思い浮かぶのはワークライフバランスであろう。こちらは一般的な私生活と仕事とのバランスという面で馴染みも深いし経営的にも重要なトピックである。しかし、このようなトピックは、「バランス」とか「コンフリクト」とかがメインになってくるので、私生活での出来事が直接的に働き方に影響をすることにピンポイントに焦点を当てているわけではない。
実世界においては、私生活において辛いことがあったりした場合に、仕事に打ち込むことによってそれを忘れようとするような現象は容易に想像がつくだろうし、自分自身を振り返ると思い当たる人もいるだろう。とはいえ、普通の生活や仕事をしていて、私生活でこの研究対象の人々のような経験をしなければ、仕事が「避難所」になりうると考えることもないだろう。であるから、普段はそんなことを意識していないが、言われてみればたしかにそうだよなと思い起こさせてくれるトピックをPletneva (2024)の研究は扱っている。また、Pletneva (2024)の研究は、つねに組織や職場の視点で現象を見がちな経営学研究者にとっては、職場における人々の働きぶりとか仕事と、私生活の特定のイベントが直接的に結びつくことがあることに改めて気付かせてくれる。
Pletneva (2024)の研究は、言われてみればそうだよなというような内容なので、とても新しい現象を扱っているというわけではない。ただ、そうであっても、多くの人は、仕事に打ち込むことで気を逸らそうとする、とか、仕事に救いを求めるといった段階で思考がストップするだろう。しかし、このような視点には、悲しいとか辛い思いをしている人が、救いを必要とする受動的な存在だという暗黙の前提が隠れている。Pletneva (2024)は、ここによく知られたジョブ・クラフティングの概念を持ってくることで、悲しい思いや辛い思いをしている人であっても、主体的に自分の仕事を再デザインして、「避難所」にするようなこともする存在なのだということに気づかせてくれる。
私生活で辛いことがあった人にとって仕事が避難所となりうるということと、ジョブ・クラフティングというコンセプトの組み合わせが絶妙で、この論文を読んで物事の見方、考え方が変わる瞬間でもある。ジョブ・クラフティングという研究に馴染みのある研究者ならば、私生活で苦しんでいる人が仕事の場でジョブ・クラフティングを行うのだという知見を見せられると、働く人々のジョブ・クラフティングという行為が職場や仕事の世界に閉じたものではないのだということに気づかせてくれる。逆に、ジョブ・クラフティングにあまり馴染みのない研究者であれば、悲嘆にくれ、仕事に救いを求めようとする人々は、単に救いを求めているだけの受動的な存在ではなく、仕事の世界で環境に主体的に働きかける存在であることに気づかせてくれる。
実務の世界では、言われてみると「確かにそうだよな」というような現象があっても、必ずしもそれがこれまでの経営学において扱われていないようなことがよくある。それは、現象自体が新しいからという理由もあるだろうし、Pletneva (2024)の研究のように意外と盲点となっていたり十分に注意が向いていなかったからという理由もあるだろう。これは経営学からみればまさに新たな知見や価値を生みだす研究の絶好の機会だということになる。つまり、経営学で研究されている内容や成果と、実務の世界で実際に起こっていることの間に意外といろいろなギャップがあるのである。ギャップがあるということは、そのような現象について、学術的な理論や厳密性をもって説明することが現状ではできないということである。
経営学は、経営の実務で起こっている様々な現象を説明するためにあるのだから、研究において実務の世界で何が起こっているのかを注意深く観察したり、研究方法として質的調査を行うことが、価値のある研究成果を生み出すことにつながる。研究者と実務家が共同で研究を行ったり、実務経験が豊富で社会人博士を経て研究者となるような方々からすると、Pletneva (2024)のような研究につながる視点や発見を得やすいというアドバンテージがあると思われる。
補足質問1)Pletneva (2024)のタイトル・abstractに工夫はあるか
Pletneva (2024)のタイトルは、本シリーズで教材として扱ってきた多くの論文と同様に、キャッチフレーズ的なタイトルと、研究内容を示すタイトルをコロンでつなげたかたちになっている。Turning work into a refuge「仕事を避難所に変える」の「refuge(避難所)」という言葉が、経営学の分野であまり使わない表現でもあるので、インパクトを生み出す要因となっている。「避難所」というコンセプトも、質的調査を行なっていくなかで生み出された表現だと思われる。
一方で、Pletvena (2024)のAbstractは、本シリーズで扱ってきた多くの論文と比べると、かなりあっさりとしており、分量も少なめで、標準的なスタイルになっている。これまで見てきた多くの論文のように、要約において、先行研究での問題点を指摘したり、ハイライトとなる議論や理論を的確に表現するというよりは、質的調査を行なって、そこから悲嘆に暮れる人々がジョブ・クラフティングによって自分の仕事を避難所の変え、それがもたらす効果についてのモデルを構築したというように淡々と説明したものとなっている。だが、このように淡々と記述しているモデル自体が本論文の核心を示しているわけだから、このようなabstractが、本論文のもっとも重要な条件を必要最小限で示したものという面で参考になる記述の仕方だといえよう。
文献(教材)
Pletneva, L. (2024). Turning work into a refuge: Job crafting as coping with personal, grief-inducing events. Academy of Management Journal, 67(4), 1055-1083.