思考実験とは何か1

科学的知識のような確かな知識を手に入れるためには実験は欠かせない方法の1つである。しかし、いつでもどこでも実験ができるとは限らない。実験をするのに非常にコストがかかる場合もあれば、そもそも実験をすることが現実的に不可能だと思われるケースもある。そのような場合に突破口を開く可能性がある方法として、「思考実験」がある。思考実験は、その名の通り思考のみで実験を行うことだから、どんな状況でも頭の中の想像で作り出すことが可能だという大きな長所がある。榛葉(2022)は、自然科学や社会科学などでのさまざまな思考実験を紹介しながら、思考実験について詳しく説明しているので、榛葉の解説を参考にしながら、思考実験について考えてみよう。

 

思考であればどんな状況でも想像可能だといっても、全く非現実的な状況を想定して思考実験をして、何か役に立つ知識を生み出すことができるのかという疑問も湧くだろう。であるから、そもそも実験とは何か、そして、非現実的な状況を想定する思考実験をする正当性が得られる根拠はどこにあるのかを理解しておく必要がある。まず、実験とは何かについてであるが、榛葉によれば、さまざまな方法によって普遍的な因果法則を求めてきたのが科学であり、これを精緻化してきたのが近代科学であるが、実験は、受動的な観察や観測を超えて、対象に働きかけることで法則性を見つけ出すような試みであることを指摘する。

 

例えば自然科学においては、自然界において何らかの法則性を発見するために、似通った状況で多数回の観察をすることが必要である。このような観察は受動的だが、そうした現象を、都合の良い時に起こせるようにして、繰り返し再現できるようにするために、積極的に世界に介入して現象を制御していく方法が実験である。その際に、実験では、ごく少数の変数のみが関係するように人工的に特定の状況を作り出し、特定の変数を操作して他の変数がどうなるのかを吟味する。このような実験の背後にある前提が、法則はあらゆる状況でも真であるという普遍性を持っているということと、物事は要素に切り分けられるという要素還元主義の発想である。

 

現実の現象にはいろいろな要因が影響しているはずなので、実験をする場合には、まずそれらを切り離して、1つの要因だけ検討できるようにするわけである。例えば、AとBの関係といったように基本的には2者間の単純化した法則にまで還元してそれを検証するために、そのほかの要素は極力排除する。このようにして理想化された状態を作り出し、測定を行う。このような特徴について、ベーコンは、実験というものを「自然を拷問にかけて白状させること」だと考えていたようであると榛葉はいう。ベーコンは、自然世界は迷宮のようなものだが、それを理解するための方法論は、人間界の法廷のようでなくてはならないと述べたという。つまり、魔術や超自然による説明を拝して、論証し、対話して、陪審員裁判の精神で自然の解明にあたるべきだとしたのである。

 

自然な状態で実験をすることが可能なのであれば、それは法廷での自然に対する「尋問による供述」だということができるかもしれない。しかし、量子力学における素粒子の実験のように、我々が実際には見聞きすることができないような対象を相手に、巨額な費用をかけて巨大な実験施設を建築するように普通では経験できないような状況を作って測定を行うような実験は、法廷での自然に対する「拷問による自白」ということができると榛葉は示唆する。そのような、ある意味非現実的な状況で行った実験でも、その方法で真理に近づくことができると考えるのが近代科学の心性なのだと榛葉はいうのである。

 

いやむしろ、自然の探究においては、異常ともいえる極限状態で得られた知見を現実にあてはまめることができると考え、そのような極限状態を作り出すことよってこそ真理に肉薄できるのだと榛葉はいう。都合が良い理想化された状態を作り出して拷問にかけなければ、自然は白状しないと考えるのである。そこには、法則の「普遍性」への信用がある。法則は普遍的なものだと考えるのであれば、どのような状態であっても成り立つはずである。極限状態であってもである。だから、適切に極限状態を作ってやれば、現実ではノイズに撹乱されて見えにくい法則であっても、ノイズが消去された状態で理解しやすい形でそこに姿を現すと考えるのである。

 

上記のような「極限状態を作り出す」という試みを、思考のみでやってしまおうというのが思考実験だと考えることができる。つまり、異常な状態での振る舞いにこそ自然の本性が現れるという感覚に基づき、頭の中で特定の状況を想定した後、さまざまなパラメータを想像で自在に変化させ、何らかの極限状況を作り出す。これは思考実験ならではの方法である。思考実験だからこそ、手を替え品を替え、現実にはありえないような状況も制約なしに作り出して、容疑者を傷つけることなしに拷問にかけることができるのだと榛葉はいう。

 

また、パラメータの値を自在に変えて観察することの背後には、既述の通り要因を一つ一つ切り分けることで必ず適切な探究が可能になるという要素還元論に基づく信念がある。適切に問題を切り分け、肝要な部分以外は排除する。いうならば、実験とは、要素還元論が大手を振って正当化されるような状況(理想化)を作り出してやることだと榛葉は説明する。そして、思考実験でこそ、このような威力が期待されていると榛葉はいう。因果関係の複雑な絡み合いは、必ず解きほぐせる。世界はそのようなものとしてできている。世界はそのようにして、人間にとって理解可能なものであると考えるのである。

 

ニュートンやマッハによる「バケツの思考実験」のように、極限状態さえも通り越して、不可能な状態にまでどんどん接近させたら問題がどのような様相を帯びてくるのだろうかというやり方で自然を拷問にかけて考えることもできる。このように、少数の変数からなる法則性や研究対象とする原理をわかりやすい形で「見える化」し、その本質を吟味するためにその他の要因を消去して取り除く作業を、理想化とか抽象化などという。例えば、結果に対して量的な影響を持つ要因が存在する場合、その1つないしはいくつかを思考のなかで減量していき、ついには消去してみせる。

 

思考実験をする際に、ある状況を想定したら、思考をしながら事実を変化させてみる。とりわけ連続的に変化させてみる。さまざまな要因を自在に変化させて、もとのケースとは似ても似つかない状況をつくりだすことで、そこに現象の本質を見出すことができる。これをマッハは「変化法」と呼んでいると榛葉はいう。これは頭の中で自在に理想化したり極限以降したりして原理の判定を行うもので、これは実際の実験ではなしえない実験である。

 

これまで見てきた通り、思考実験は、実際には実験や観察ができないことを、頭の中でやってみることである。目で見るように、手で操作するように体感しながら、詳細は切り捨てて極限状態での本質的な振る舞いを見定めるところに思考実験の長所がある。思考によってさまざまなものを切り捨てて理想化・抽象化することで、検証すべき法則だけを問題にできる設定にすることができるというわけである。

文献

榛葉豊 2022「思考実験 科学が生まれるとき」講談社ブルーバックス